コラム【大曽根壁画】
- 2 日前
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2012年制作なのでもう14年前。そんなに。14年と言ったら描いた時生まれた子は中2ですわ。おそろしい。
私は大曽根の店に壁画を描いてから思いもよらない人生が始まっている。

それまで隣のビルで見えなかった真っ白な大きな壁がはじめて顔を出して絵を描きたくなってしまった。こんな大きな絵は描いた事がない。昔銭湯の壁に富士山を描くバイトをした時の絵より何倍も大きい。猛烈に描きたくなってしまった。
建物を横から見ると思った以上に変な形ででこぼこしている。設計はプロの設計士でもなんでもない義父。頭が凄く良い人で、英語を60歳辺りから始めてペラペラしゃべったり、当時、園芸業界では苗に個別のラベルなんてものなかったものを販売する全種類を木札で印刷して作ったり、大袋しか無かった時代に小分けの肥料を作ったり、株をやりまくったり、息子嫁の私にいきなり漢字テストや歴史のテストをふっかけてきたり(泣)。営業に来た人や義母に大声で怒ったりしていたから、建物の設計も誰かと相談して進めるより自分の頭の中にあるものをそのまま作りたかったんだと思います。

はじめて見るウチの店の外壁。それは白くて変な形。
花屋併設のカフェとバーを始めていたので、主人は店名を簡単に壁に描けば?と。どうせ描くなら・・・とあの壁画の案をざっくり描いて見せました。
案の定大反対をくらう。
「どうやって描くんやそんなもん。」です。 上からぶら下がるビルの窓掃除パターンや、クレーン車を借りる案など考えた(特にぶら下がり案はガチで)がどれも無謀すぎて非現実的。いやもう頭にアレの完成図が浮かんでしまったのでなんとしてもやりたい。
一番現実的な足場を立てるのはどうだろう。
足場を立てるならば隣の清水屋さん(現リパーク)の土地に建てさせてもらわないといけない。モヤモヤと考えてる間に清水屋さんから駐車場を作るのにウチの店との境界線の確認したい連絡が来た。大昔からある商店街なので土地の境界線が曖昧になっていた。
この確認から申請に約1ヶ月半かかる。 この期間駐車場の工事ができない。 空白の時間。 運が回ってきた。
申請に何故か1ヶ月半もかかるお役所仕事のおかげでこの空白の期間足場を建てさせて欲しいと話すとOK。なんという事。ミラクル。清水屋の社長さんありがとうございます!

足場屋さんに「おいおい、そんなスニーカーで足場登っちゃダメだよ。去年2人死んでるよ。」と貴重な助言をいただき、ホームセンターで生まれてはじめての「地下足袋」を購入。やばいかっこいい。命綱も購入。
制作期間は偶然もらえた1ヶ月半。下絵をきちんと書き起こす時間ももったいないので頭の中にある下絵を頼りに描き始める。「12m×7mの面積を小指程の筆で塗る」事がどれだけ無謀なのか現実味が無かったのと想像できなかったのがおそろしい。 この頃ライブペインティングを数十回行ってきていて、2時間で描ける量がだいたいわかっていたので、雨の日やどうしても作業できない日も含めて「1日15時間×25日」描き続ければ頭の中にある絵ができるざっくり計算で始めた。

最初は足場の一番上に上がるのが怖すぎて、上がると心臓がバクバクして動けない。こんなに怖いものなのか。(詰んだ・・・)と思った。上がれないから1段下の3階の足場から描き始める。3階を描き終わる頃スッと4階に上がれた。人は成長する。そのうち足場で寝るようになる。人は45歳でも成長する。
花屋とカフェとバーも営業しながらなので強力なスタッフに時間を作ってもらい、夜間は探検隊のライトをおでこに装着して1日15時間描いた。夜間に職質を2回受ける。初体験。その後いつでも職質どんとこいにする為に身分証明の免許証をポケットに入れて作業をする。

自宅にはお風呂に帰るだけで足場の上で寝たり店で寝たり。毎日ファミマでユンケルを買って足場に登る。ユンケルはイチローが推しているので信じてる。描いている間壁に向かってずっと自分と話をしていた。誰に頼まれるでもなく自分で始めた事なのに途中数回なぜか泣いた。
やりたくてやっている事なのに、足場にいると想像以上に知らない人から声をかけてもらえたり、差し入れをいただいたり、楽しみにしてくれる人にたくさん出会えて何かが変わってきた。絵の確認の為に何度も何百回も階段を登り降りしたので腹筋が割れた。よくアスリートが「たくさんの応援のおかげで」とコメントをするけれど、アレはよくあるセリフでもなんでもなく間違いなく本当にそうです。
とても無謀な事をしたと思う。あんまり賢くなくて良かったと思った。限界超えって全然できるんだと実感した。
途中絵具が乾く前の絵が雨で流れた。必死でシートを掛けたけれど無惨。このもう一度を2回やった。この時案外平常にいれたのは「やれるもんならやってみろ」と誰かに言われているように感じて「やってやるわ」の生粋のM気質が助けてくれた。こういうの嫌いじゃなかった。

この壁画が新聞の一面を飾る事になって、テレビの取材を受けたりする事が起こる。
普通の花屋のおばちゃんとして一般市民として生活してきて、新聞の一面に顔がでる事なんて誰が想像をするだろう。どんなテンションでいればいいかわからず、狐につままれたように思えた。知らないおばあさんに「大曽根が新聞の一面に出るのは駅前のビルの爆発以来だよ。」と言われた。あの爆発時は花屋にいてすごい地響きだったのを思い出した。 大阪の実家に新聞を送ったら、
「あんた犯人じゃなくてよかったわ!ほんま良かった!」と。犯人じゃなくてほんま良かった。
今も壁画の前で写真を撮る人や立ち止まる人を見かけるとすごく嬉しい。嬉しいけれど居心地が良くないので花屋に入る。以前壁画近くのベンチに座ってコーヒーを飲んでいたら知らないおじさんが「この壁画はあの花屋の奥さんが描いたんだよ。」と色々説明してくれた。私は「へぇ〜」とその話を聞いた。



















